先人たちの死、生きていく私たち
訃報を聞いた夜のことだ。ぼくの机のわきに置いてある林竹二『若く美しくなったソクラテス』(田畑書店)を手に取って開くと、Mさんが、図書室の発行するミニコミ誌に寄せた、この書を勧める書評がはさまっていた。Mさんの書いた書評をはさんでおいた林竹二のソクラテス研究の書が、ぼくのすぐ手に取れるところにあったことで、このとき、Mさん、林竹二、ソクラテス、わたしの間に特別の強度を持った何ものかが生れたのだと思っている。この本は、20年くらい前の夏休みに読み、その感動を、夏休み明けにMさんに伝えると、彼もしばらく前に読んで強く共鳴したと語って、感動を共有していた本だった。林竹二を、Mさんの記憶とともに、あらためて読むということが、この春から、このようにして、ぼくに起った。ぼくは林竹二に出会ったことはないが、Mさんは林竹二と交流があり、じかに教わった経験がある。Mさんも林竹二も亡くなったが、二人の著書は、今、ぼくの中で交響する場を持って生きている。
Mさんには美術教育論集『ピカソの手』という著書がある。彼は中学校の生徒を相手に絵画の授業をやっていたのだが、その区切りごとに書いた絵画の方法論=絵画の冒険へのデッサンのような文章が集めてある。この書の特異なところは、美術の分野への過剰なまでの哲学や文学の介入・交差にあると思う。そして、そのことがこの書をたぐいまれなものにしている。この本も、今ぼくは少しずつ読み続けている。彼がこの本をのこしておいてくれて本当に良かったと思う。
一人の先輩の死が、人間の書き残した本を読み継ぐ情念に点火してくれたのだと思います。この数年のあいだに、ぼくにとって、特別な先人が亡くなりました。この先人たちの死と、そして遺された作品とどのように向き合うか、はっきりしないままに月日をすごしていたのです。Mさんと林竹二の著書を読むことと、並行するように、ぼくは、もう一度、この先人たちの仕事を今読み返していくことを始めました。この先人とは、2007年に亡くなった小田実、2008年に亡くなった加藤周一、そして2012年に亡くなった吉本隆明です。 (日月堂 上野文康)
- 2013.09.10 Tuesday
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