百人百様、百人百態、そして、 一人百様、一人百態 川口由一の<自然農>という世界

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    119日(土)、10日(日)の映画上映会「川口由一の自然農のしあわせ」に集まってくださった方は30人。大半の人が上映後の談話会に参加してくださった。

    以下はその報告です

     映画を観ていない人のために、川口さんの<自然農>とはどんなものなのか、川口さんの本から抜粋してみます。

     

     耕さず、肥料は施さず、農薬除草剤は用いず、雑草を敵として取り去らずとも、お米や野菜が見事に育ち実りますお話を致します。・・・

     それは僕の小さな智力能力で、思い、考えてつくり上げた一農法ではなく、一人の人間の思想、哲学、宗教・・・生命観、自然観、宇宙観から形づくり、固定させたものではありません。そうした固定したところから離れ、今までしてきた数多くの余計なこと、耕耘、施肥、施薬、除草、施設、土壌改良等から離れて、天然自然の変わることなき絶対なる法、神ながらの過不足なき営みに任せ、お米自らに備わっています完全な智力能力に任せますと見事に育ち実りゆきますお話です。

                   川口由一『妙なる畑に立ちて』(野草社)より

     

     本はこのように始まりますが、映画はこの言葉を具現化した川口自然農場の姿、そして川口さんの生き方とそのメッセージを映し出していきます。川口さんは1939年生まれで、小学校6年生で父上と死別され、中学卒業と同時に、農業を引き継がれます。慣行農業で20数年あまり営農の後、心身を損ねた時、その誤りに気付かれたといいます。以後、10年の模索・研究の末、自然農の世界を切り開いていかれました。

     

    上映後の談話会の報告に戻りますが、今、有機農を営んでおられる松下さん(ふうわりファーム、日高市)、今年の2月から自然農を始めておられる小島夫妻(小島農園、飯能市)、かつて川口さんを訪ねたことのある大竹さん、内村さん、自然農の世界から野口整体へと進まれた安井夫妻(安井身体健康道場、日高市)、自由の森学園理科教師で選択講座『自然』を担当している伊藤さん、川口さんが教える赤目自然塾まで行ってきたという高校生、というふうに、この映画が人を集めてくれたのですね。集まった方々の環によって、自然農の世界から社会・世界・今という時代を考えようとする場を、短い時間ではありましたがつくることができたと思います。いくつかの声を紹介します。

     松下さんは、川口さんの世界には、自然に向き合う哲学がある、川口さんは哲学者のような方だ、考えさせられることがいっぱいありました、といっていました。この言葉は、川口さんの自然農から見える世界は、3・11後ということを考えるとき、新たな光を投げかけているという和井田さん(春日部市、社会科教員)の言葉と呼応するものだと思います。

    小島直子さんは、自分たちは、今、耕していて、以前この映画を観た時は、耕さないということに目がいっていたけど、今日はちがうことが見えてきた、と言っていました。生命の巡りの世界、いのちを育む農の世界とその幸せということを直子さんは言っていたのだろうと僕は想像しています。数日前に訪ねた小島農園のたぬきの畑では、長男のシンくんが遊びながら、しかし、しっかりと収穫の手伝いをしていました。「おいしそうなチンゲン菜みつけてね」とお父さんのタケさんがいうと、あたりを見まわして「これが、おいしそう」とはさみをもって、野菜たちとお話をしている情景がとても自然で、まれにみる風景でもありました。シンくんは保育園より畑のほうがが楽しくて、毎日いっしょに畑にきているそうです。タケさんは裸足で畑を歩いていました。

     

    耕す――耕さないということは、自然農を農法として見ると、ひっかかるところなので、小峰さんという方が農業の専門家の立場から説明をはじめる場面があり、安井さんが少し強く、ここでは議論はやめましょうと制する一幕がありました。そのときは、どうしたものかとぼくは戸惑ったのですが、後になって考えてみると、安井さんは、ここは川口さんの世界をしっかり受け止めることに気持を集中しませんかということが言いたかったに違いない、と思い、納得しました。

    川口さんの切り拓いた自然農の世界は、現代の農業と私たちの日常生活全体の根底にある世界観を見つめ直し、対峙したすえに、発見し、培われたもので、それを語る言葉も、それに触れる感性も、異数の世界だと言えるものです。

     自然を語る、などと僕たちは、よく言いますが、あらためて立ち止まり、これまでの言葉を捨てるのでなくては、何も始まらないのだと思います。出来合いの言葉で、農を語ることを止めることから川口さんは始めたのにちがいないのですから。見ること、感ずること、聴くこと、相対すること・・・身体的なところから始めて、長い時間のあとで、新しい言葉が生み出され、そしてまた、見ること、感ずること・・・へと、もどっていく。こういう営みに思いを致すことが大切なのだと思います。

     

     映画のつくられ方ということにも話が及びました。慣行農業から自然農へといたる10年の模索・研究のプロセスを映画の中で表現できなかったのかということです。映画は、問題を探っていくさまを進行形で撮っていくのではなく、川口さんがたどり着いた世界をメッセージとして伝える形になっているといえますから、僕自身も似た思いを持っていました。これは、1日目に、伊藤さんが会の後、話したときに言っていたことなのですが、一日たって、次の日の談話会では、僕はこのことについて、次のように言いました。

     川口さんは彼のたどり着いた世界(答え)をメッセージとして届けています。10年間の模索(プロセス)を知りたいという僕たちの気持ちは、何から何まで知りたいということになるのではないか。そのことは、彼のメッセージを導きとして、僕たち一人一人が畑に立ってやるしかないことではないのかと思う。

     

     川口さんの本の「春の生命」の章を読み進むと次のように書かれています。

     

     大切なことが一つあります。僕の言葉に決して執われてはいけません。僕の示す数字に執われてはいけません。言葉通り、数字通りに行ってはいけません。言葉、数字の奥にある理に心を向けられて、その理を悟り識ってゆかれてください。僕とあなたとの違いがあります。同じ一つの生命ですが、個々の違いがあります。僕とあなたの住んでいる場所が異なります。気候風土が異なります。同時に作物の個々の性の相違があります。百人百様、百人百態、また一人百様、一人百態となるのが真の姿であり、本来のあり方です。固定したもの、決まったものは何もないのです。天然自然の理を悟ること、自らの内に宿し蔵している神ながらの智力能力を、僕の言葉や数字からの働きかけによって目覚めさせてやることが大切です。僕が発します言葉の生命、言霊が、皆様の内にある霊と共鳴して、目覚めてゆかれることが大切です。

                 川口由一『妙なる畑に立ちて』(野草社)より

     

     参加してくださった方々、協力してくださった方々、ありがとう。この文章を最後まで読んでくださった方、ありがとう。         (上野文康)



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